夕暮れどき、京都の町を歩いていると、屋根の向こうに細長い煙突が見えることがある。

その根元では、暖簾が揺れ、番台の向こうで湯が沸き、近所のおじいさんがいつもの顔をして靴を脱いでいる。

我々狸は湯に入らずとも毛づくろいで何とかなるが、人間はそうもいかないらしい。寒い夜には湯船へ沈み、隣に座った見知らぬ人と天気の話をし、少し機嫌を直して家へ帰る。

銭湯というのは、風呂を売っているようでいて、どうもそれだけではない。

ところが、その銭湯が消えている。

京都市は2026年10月9日、「京都の銭湯どうするんか会議」の第2回を開く。名前はずいぶん率直である。役所の会議名には、ときどき内容より長い立派な言葉が並ぶものだが、今回は本当に「どうするんか」としか言いようがないのだろう。

では、いったい何が起きているのか。湯気の向こうにある勘定を、少しのぞいてみたい。

京都市内の対象銭湯は77か所

京都市と京都府が2026年度に始めた子どもの入浴料金無料化事業では、京都府浴場組合に加入する一般公衆浴場が府内84か所、そのうち京都市内は77か所とされている。

京都府の説明によれば、府内の施設数は直近15年間で半数以下になった。

さらに、2026年8月の京都市長記者会見では、第1回の「どうするんか会議」で、現在80軒ほどある銭湯が、しばらくすれば20軒余りになる可能性を示す推計が紹介されている。

もちろん、これは確定した未来ではない。

しかし、煙突が一本消えるたびに、次の煙突まで歩く距離は長くなる。自転車に乗れない高齢者や、家の風呂が使えない人にとっては、町から生活設備が一つ消えることになる。

京都は古い建物を愛する町である。

だが、建物を愛でる人は多くても、毎晩ボイラーへ燃料を入れてくれる人は案外少ない。

文化というものは、褒められているだけでは維持できないのである。

550円の湯船に、経営の苦しさが詰まっている

京都府の一般公衆浴場の入浴料金上限は、大人550円、小学生200円、乳幼児100円である。

銭湯は、スーパー銭湯やサウナとは制度上の扱いが違う。地域住民の日常生活に必要な衛生施設として、物価統制令による料金上限の対象になっている。

安い料金で誰でも利用できるようにする。

これは市民にとってありがたい。

一方で、経営者は燃料費や電気代、人件費が上がっても、気軽に入浴料へ転嫁できない。

大きな浴槽へ毎日湯を張り、湯を沸かし、濾過し、清掃する。古くなった配管やボイラーは、情緒では直らない。後継者がいなければ、経営者は店主であると同時に最後の一人になる。

つまり銭湯には、少々意地の悪い構造がある。

公共性が高いから料金を抑える。ところが料金を抑えるほど、公共的な施設を民間だけで維持することが難しくなる。

人間はときどき、安く残してほしいものほど、残すための金を誰が払うかについて口をつぐむ。

狸の勘定帳にも、そのような魔法の頁はない。

子ども無料化は、未来の常連客をつくれるか

そこで京都府、京都市、京都府浴場組合は、2026年4月から2027年3月まで、小学生以下の子どもの入浴料金を無料にした。

対象は18歳以上の大人と一緒に入る子どもである。子どもだけを無料で送り込む制度ではない。親や祖父母が550円を払い、一緒に暖簾をくぐる。

この仕組みはなかなかよく考えられている。

子どもに銭湯を知ってもらえる。

同伴する大人の利用も生まれる。

家族が一度きりではなく、また来れば将来の常連客になるかもしれない。

京都市は5月補正予算で、入浴作法や銭湯の歴史を学ぶ機会、子ども向けイベントなどの「子ども銭湯応援事業」に1,500万円を計上した。

もっとも、「無料にしたら人が来ました」で喜んで終わってはいけない。

大事なのは、無料期間が終わったあとである。

  • 初めて銭湯へ来た家族は何組いたか
  • そのうち何組がもう一度来たか
  • 同伴する大人の利用増は経営にどれだけ寄与したか
  • 子どもが地域の高齢者と接する機会は増えたか
  • 2027年度以降も通い続ける人はどれだけ残ったか

ここまで測って初めて、1,500万円が「楽しい催しの費用」だったのか、「未来の利用者をつくる投資」だったのかが分かる。

第2回の「どうするんか会議」では、子ども銭湯応援事業の効果を健康影響評価、HIAという手法で検討するという。

湯上がりの気分を数字にするのは無粋にも見える。

しかし税金を使うなら、無粋な勘定も必要だ。愛だけでボイラーは動かず、数字だけでは暖簾をくぐる理由が生まれない。両方要るのである。

銭湯は「風呂屋」なのか、小さな公共施設なのか

京都市は銭湯の価値として、健康増進、地域交流に加え、災害時の生活用水や入浴支援を挙げている。

この説明に従えば、行政が守ろうとしているのは湯船だけではない。

近所の人が顔を合わせる場所。

一人暮らしの高齢者の異変に、誰かが気づく場所。

災害で家の風呂が使えなくなったとき、湯と水を提供できる場所。

家庭の内風呂が普及した結果、銭湯は生活必需品ではなくなったように見える。しかし、各家庭へ風呂が一つずつ配られた代わりに、町内で人が裸のまま顔を合わせる場所は減った。

便利になった人間は、ずいぶん上手に孤立する。

京都市の空き家税を勘定した記事でも書いたが、町内は家が建っているだけでは成り立たない。人が顔を合わせ、困ったときに互いの存在を思い出せる場所が要る。

銭湯を小さな公共施設と考えるなら、行政支援にも筋が通る。

ただし、文化だから無条件で全軒を残す、という話でもない。

税金を使うなら、四つの条件を付けたい

銭湯を支援するなら、私は次の四つを条件にしたい。

1 公共的な役割を契約にする

災害時の水や入浴支援、地域の健康教室、高齢者の見守り、多世代交流。

行政が価値を認めるなら、「良いことをしてくれているらしい」で済ませず、担ってもらう機能と対価を明確にするべきだ。

湯を買うのではない。地域に残す機能を買うのである。

2 設備補助を省エネと事業承継につなげる

古いボイラーを直すだけでは、数年後に同じ問題が戻ってくる。

燃料使用量を減らす設備更新、修繕計画、後継者や運営受託者の確保を一組にして支援したい。

煙突だけ残って店主がいない、という結末は避けなければならない。

3 利用者数ではなく、再来店を測る

無料事業や催しで一度だけ人が集まれば、写真はにぎやかになる。

だが、経営を支えるのは翌月にも暖簾をくぐる人である。初回利用、再来店、同伴大人の利用、年代別の変化まで追う必要がある。

4 残す軒数と地域配置を考える

すべての銭湯を同じ形で残せないとしても、徒歩や自転車で利用できる範囲に一軒もなくなる地域は避けたい。

支援の判断には、個々の経営状態だけでなく、高齢化率、住宅事情、災害時の役割、近隣施設までの距離も入れるべきだ。

「何軒残ったか」だけでなく、「どの地域に、どんな役割の銭湯が残ったか」を見るのである。

守るべきは、湯船の外にある

銭湯は、民間の商売である。

同時に、料金を自由に決められない公共性の高い施設でもある。

この二つの顔を持たせたまま、経営が苦しくなれば「文化だから頑張ってほしい」と頼むのは、いささか虫がよすぎる。

子どもの無料化も、イベントも、「どうするんか会議」も、入口としてはよい。

だが本当に必要なのは、銭湯が地域で担う役割に値段を付け、設備と担い手へ継続的に投資し、その成果を測る仕組みである。

人間は銭湯へ行くと、服も肩書も脱いで同じ湯に浸かる。

市長も、店主も、会社員も、町内のおじいさんも、湯の中ではだいたい同じ顔になる。

そういう場所は、効率だけで見れば無駄が多い。

大きな湯船を毎日沸かし、広い床を磨き、知らない人同士が同じ空間を分け合う。

しかし町というものは、少しの無駄がなければ息が詰まる。

京都の銭湯を守るとは、古い建物を写真に残すことではない。

明日の夕方も暖簾が掛かり、湯が沸き、誰かが「今日は寒かったな」と言える状態を残すことである。

煙突から湯気が上がっているうちに、勘定を済ませたい。

消えてから立派な記念碑を建てるのは、人間がもっとも得意とするところだからである。


参照資料

制度・料金・施設数は2026年10月7日確認時点の公表内容です。無料化事業は予算の都合で期間が短縮される可能性があります。利用前には京都府浴場組合の最新案内を御確認ください。