京都という町は、地図の上ではひとつである。

ところが交通となると、話は少々ややこしい。

市バスが走り、地下鉄が潜り、京阪バスが走る。とりわけ山科・醍醐あたりまで来ると、この三者が入り混じる。

乗っている人間にしてみれば、どれも「目的地まで運んでくれる乗り物」でしかない。

ところが制度というものは、人間よりもずっと縄張り意識が強いらしい。

こちらは市バス、あちらは京阪バス、地下鉄はまた別。

狸でももう少し仲良くする。

そんな京都の交通が、2027年春から少し変わる。

山科・醍醐に「一枚で乗れる定期券」がやってくる

京都市交通局と京阪バスが、2027年4月1日から山科・醍醐地域で新しい運賃制度を始める。

その一つが、市バスIC「山科・醍醐地域フリー定期券」である。

名前はいささか役所らしく長い。

しかし、やることは分かりやすい。

対象範囲で使える定期券を購入すれば、京阪バスと市バスの両方にICOCA一枚で乗れる。

ただし、ICOCAを持っているだけで乗り放題になるわけではない。京都市交通局の案内では、対象エリア内の停留所で降りる場合に適用される。会社の境界が薄くなっても、定期券の範囲まで消えるわけではないのである。対象範囲と料金の公式案内で、いつもの降車停留所を確かめておきたい。

これまで京阪バスでは、この地域の定期券として紙の「山科・醍醐地区フリー定期券」が発売されていた。

それがICOCAになるだけではない。

市バスにも乗れるようになる。

通勤用なら、

期間 価格
1か月 10,350円
3か月 29,500円
6か月 55,890円

通学用も用意される。

発売は2027年3月下旬の予定だ。購入先は京都市交通局の定期券発売所。京阪バスの案内所では購入できないので、そこは先に覚えておきたい。京阪バスの発表にも、その点が明記されている。

財布の中から紙の定期券を一枚追い出せる。

それだけでもありがたい話ではある。

しかし、今回の話はそこでは終わらない。

地下鉄まで一枚にしてしまう

さらに、地下鉄との連絡定期券もできる。

「山科・醍醐地域フリー+地下鉄」の通勤定期なら、1か月17,280円、3か月49,260円、6か月93,320円。京都市交通局が公表した額である。

これまでは京阪バスと地下鉄、それぞれの定期券が必要だった。

それがICOCA一枚になる。

つまり朝、醍醐の家を出た人が京阪バスに揺られ、地下鉄に乗り換えて烏丸御池あたりまで出勤するとしよう。

本人にとっては最初から最後まで、ただの「通勤」である。

しかし制度の側では、

「ここまでは京阪バスでございます」

「ここからは京都市営地下鉄でございます」

と律儀に線が引かれていた。

その線を一本、消してしまおうというわけだ。

これはなかなか良い。

そもそも市民は、交通事業者の組織図を背負って通勤しているわけではない。

山科・醍醐の定期券が、京阪バスと地下鉄で別々だった状態から、2027年4月には対象券種で京阪バス・市バス・地下鉄を一枚のICOCAで利用できるようになることを、オリジナルの狸と女性が紹介する比較図
2027年4月1日からの定期券連携。利用できる路線・区間は定期券の対象範囲によります。

なぜ山科・醍醐なのか

では、なぜ今回は山科・醍醐なのか。

ここには、この地域ならではの事情がある。

京都の中心部なら、市バスと地下鉄の存在感が大きい。

ところが山科・醍醐では京阪バスが重要な足になっている。

つまり同じ京都市民でも、住む場所によって「京都市営交通だけでは生活が完結しない」。

これは考えてみれば妙な話である。

京都市民だからといって、京都市バスだけに乗って暮らしているわけではない。

当たり前である。

ところが行政制度というものは、ときどきこの当たり前を忘れる。

人間の暮らしは行政区分にも会社の境界にも従ってくれない。

便利な方へ歩き、近い駅へ向かい、先に来たバスに乗る。

人間というものは案外勝手なのである。

そして、その勝手さに制度の方を合わせようというのが、今回の変更だ。

もっと切実な事情もある

もっとも、京都市と京阪バスが突然、

「市民の暮らしを中心に考えようではないか」

と悟りを開いたわけでもなさそうだ。

京阪バスが京都市に示した2026年3月23日の資料を見ると、なかなか世知辛い事情が並んでいる。

人口減少。

高齢化。

利用者の減少。

大型二種免許を持つ人の減少。

そして運転士不足。

要するに、

客も減る。運転手も減る。しかしバスは走らせなければならない。

人間社会は大変である。

これまでのように、

「京阪バスは京阪バス」

「市バスは市バス」

「地下鉄は地下鉄」

と三者がそれぞれの縄張りを守りながら走っているだけでは、だんだん苦しくなる。

そこで、使える定期券を共通化する。

乗り継ぎを便利にする。

既にある交通網を、なるべく一つのネットワークとして使う。

新しいバスを百台買うより、今あるバス同士を仲良くさせる。

なるほど。

金のないときほど知恵が出る、というのは狸も人間も同じらしい。

「もえポっ」に京阪バスまでやってくる

さらに2027年4月から、京阪バスは京都市の「京都 地下鉄・バスICポイントサービス」、通称「もえポっ」にも参加する。

名前についてはいろいろ言いたい気もするが、ここでは我慢しておく。

これによって、対象となる京阪バス路線でも、一定の条件のもとで乗継ポイントや利用額ポイントなどの仕組みが使えるようになる。

さらに「IC24Hチケット」の対象にも京阪バスが加わる。ただし、登録日時から24時間の運賃はいったん全額引かれ、設定額を超えた利用分が翌月にポイントで付く仕組みだ。その場で支払いが止まるわけではない。

京都比叡平線の地蔵谷~比叡平、京都比叡山線の地蔵谷~比叡山頂はIC24Hチケットの対象外。京都競馬場線はすべてのポイントの対象外である。公式案内には、こうした但し書きもある。狸の目も、細かい字のところでは細くなる。

つまり今回やろうとしていることは、

定期券だけを一枚にすることではない。

定期券。

乗り継ぎ。

ポイント。

24時間の利用に対する、後日のポイント還元。

少しずつではあるが、市バス・地下鉄と京阪バスの間に立っていた柵を取り払っている。

一枚のICOCAの裏側で、交通事業者同士の縄張りがじわじわ溶け始めているのである。

こちらの方が面白い。

京都市の交通を「会社」ではなく「生活圏」で考える

ここまで来ると、次に気になることがある。

では、山科・醍醐だけなのか。

京都市の資料を見ると、どうもそうではない。

2026年度の交通局予算資料では、山科・醍醐の「meetus 山科-醍醐」に加え、洛西の「洛西“SAIKO”プロジェクト」と連携し、民間バス事業者とのIC定期券共通利用化などを進める方針が示されている。

となれば、今回の山科・醍醐は一つの実験場とも読める。

京都には、ずいぶん性格の違う地域が詰め込まれている。

地下鉄が便利なところもあれば、バスが生命線のところもある。

観光客でバスが満員になる地域もあれば、路線そのものをどう維持するかで頭を抱える地域もある。

これを全部、

「京都市の交通政策です」

という一枚の大風呂敷で包んでも、うまくはいかない。

それなら、

山科・醍醐には山科・醍醐の交通網を。

洛西には洛西の交通網を。

そのうえで、市バスだろうが民間バスだろうが、使う側から見ればなるべく一つにしてしまう。

こちらの方がずっと自然である。

一枚のICOCAが消すもの

2027年4月。

山科や醍醐で暮らす人の財布から、紙の定期券が一枚消える。

見た目には、それだけの話かもしれない。

だが、よく見るともう一つ消えようとしている。

「ここから先は別の会社です」という、提供者側の都合で引かれた線である。

もちろん、一枚のICOCAで運転士不足が解決するわけではない。

人口減少も止まらない。

赤字路線が突然黒字になるわけでもない。

そんな魔法があるなら、狸のこちらが教えてほしい。

それでも、既にある市バス、地下鉄、京阪バスを別々のものとして扱うのではなく、一つの交通網として使いやすくする。

これはずいぶん真っ当な一手だと思う。

そして何より面白いのは、京都市が少しずつ、

「誰が運行しているか」ではなく、「市民がどう移動しているか」

から交通を考え始めていることである。

狸は昔から、縄張りというものを大切にしてきた。

しかし縄張りにこだわりすぎると、たいていろくなことにならないのも知っている。

どうやら人間も、ようやく同じところへ辿り着いたらしい。

山科・醍醐から始まる一枚のICOCA。

これが京都中の縄張りをどこまで溶かしていくのか。

鴨川のほとりから、しばらく眺めてみることにしよう。


制度・料金は2026年10月3日確認時点の公表内容。2027年4月1日の開始に向けた予定を含みます。実際の購入・利用前には、リンク先の最新案内を御確認ください。