京都市バスに、二つの運賃が生えるらしい。
京都市民は200円。市民でなければ350円から400円。
同じ停留所で待ち、同じ扉から乗り、同じ急ブレーキで前の人の背中に鼻をぶつけても、払う金は違う。まことに人間社会というものは、尻尾の有無より複雑である。
我々狸なら、仲間かどうかは一目で分かる。腹の出具合、化け方の雑さ、宴会の誘いに対する返事の速さ。この三つを見れば、だいたい足りる。
しかし人間の住所は顔に書いていない。
そこで京都市は、マイナンバーカードと交通系ICカードなどをあらかじめ結びつけ、運賃箱にカードをかざした瞬間、「この者は京都市民である」と機械に見抜かせるつもりでいる。令和9年度中に始めたいそうだ。
機械に身元を見破られるのは落ち着かないが、200円になるのはうれしい。
うれしいので、まず喜ぶ。
そして喜んだ後で、勘定書きを見る。これは京都で長く暮らす者の習性である。
三十円の恩と、百七十円の覚悟
いまの均一区間は230円である。
市民は200円になるから、30円安い。往復すれば60円。浮いた金で何ができるかと考えると、立派な宴会には到底足りないが、駄菓子ならいくつか買える。月に20回乗れば600円、年にすれば7,200円である。
小さくはない。だが、天狗が山から小判を撒いたほどでもない。
一方、市民でない人は350円から400円になる。いまより120円から170円高い。月に20回、現金で400円を払うなら、年に4万800円の増加となる。
つまり、この話を「市民が30円安くなる制度」とだけ呼ぶと、片目を閉じて帳簿を読むことになる。
もう片方の目には、「市外の人が最大170円高くなる制度」が映っている。
京都市の説明も正直である。人件費や物価が上がり、オーバーツーリズム対策にも金が要る。本来なら市民も値上げするところを、200円に割り引くので「30円+αの割引」なのだという。
なるほど。筋は通っている。
市民の運賃だけが、230円から200円へ蝶のように軽やかに舞い降りたわけではない。普通運賃という床そのものを350円から400円へ持ち上げ、その高い床から市民だけを200円へ下ろすのである。
これは割引であると同時に、値上げである。
人間は一つの政策に二つの顔を持たせるのが得意だ。我々狸も化けるが、ここまで器用ではない。
四百円を払えば、観光客は消えるのか
この制度には、市民の財布を軽く守る以外に、もう一つ期待がある。
市バスが高くなれば、観光客が地下鉄や観光特急バス、徒歩やタクシーへ移る。そうすれば生活路線の混雑が和らぎ、市民が乗りやすくなる、という筋書きである。
たいへん美しい筋書きだ。
ただし、美しい筋書きと現実は、しばしば鴨川の東西ほど離れている。
数万円を使って京都へ来た人が、170円高くなったので金閣寺を諦めるだろうか。
「市バスが400円もする。それなら今日は旅館で寝ていよう」と布団へ戻る観光客が大量に現れるとは、少々考えにくい。
地下鉄へ乗り換えてくれれば成功である。しかし、目的地へ行く便利な手段が市バスしかなければ、観光客は400円を払い、満員のバスに乗るだろう。
交通局の収入は増える。だが車内は相変わらず、狸の尻尾一本を差し込む隙間もない。
市民運賃が200円になっても、市民が乗れなければ意味がない。
ここは大事なので、もう一度言う。
安くなっても、乗れなければ意味がない。
したがって、制度の成否を「何人の市民が30円得をしたか」だけで測ってはいけない。「満員で乗れなかった市民が何人減ったか」で測るべきである。
値上げで得た金を、増便、運転士の確保、観光系統と生活系統の分離へ回す。観光客が地下鉄へ移りやすい案内をつくる。道路そのものの渋滞も減らす。
料金表だけを立派にして、バスの本数が同じなら、立派になったのは料金表だけである。
市外の人間を、みな観光客に化けさせてはいけない
京都市外から市内へ来る人は、観光客ばかりではない。
亀岡から働きに来る人もいる。宇治から学校へ通う学生もいる。向日市から病院へ来る人もいる。親の介護、買い物、仕事の打合せ、恋人との逢瀬。人間が境界を越える理由は、観光案内所の棚より多い。
この人たちは京都の日常を支えている。しかし住民票が京都市になければ、市民200円にはならない。
京都市もそこは承知している。定期券は今の金額に据え置く予定で、定期券を買うほどではないが頻繁に乗る人には、ICカードのポイントサービス「もえポっ」による負担軽減を考えている。
配慮があるのはよい。
だが、配慮を重ねるたび、制度は竹林のように枝分かれする。
市民は200円。市外の定期利用者は据え置き。市外の高頻度利用者はポイント。市外の低頻度生活利用者は普通運賃。観光客も普通運賃。障害者割引はまた別。現金払いもまた別。
正しい区分を増やすほど、初めて乗る人には正解が分からなくなる。
運賃制度は、公平であるだけでは足りない。バスが来るまでの短い時間に理解できなければならない。
人間は制度を精密にするあまり、制度を利用する人間の頭を置き去りにすることがある。狸は頭を置き去りにしても勢いで乗るが、人間にはおすすめしない。
二百円の陰で、大きな機械が動く
市民200円を実現するためには、住所を一度確認し、交通系ICカードなどに市民資格を結びつける必要がある。
マイナンバーカードを持つ人は、スマートフォンなどで登録する。持たない人には、運転免許証などを使った対面登録が検討されている。スマートフォンを持たない人、操作が苦手な人には、別の支援も要る。
現金や回数券は、市民価格の対象外となる予定である。乗るたびに運転士が住所を確かめていては、バスが一向に発車できないからだ。
理屈は分かる。
しかし、これは単なる30円引きではない。
本人確認、登録画面、ICカード連携、窓口、問い合わせ、資格更新、不正防止。二百円という小さな運賃の陰で、なかなか大きな機械が動く。
以前の記事「五千円が空から降ってきたので、勘定してみた」で、京都ポイントの仕組みと事務費を眺めた。
今度は、市民価格である。
我が家の狸が「ポイントを配るより市民価格にすればよい」と口走っていたら、いつの間にか京都市バスの方が、本当に市民価格を始めようとしている。世の中は油断ならない。
だからこそ、今回はきちんと見届けたい。
市民判定システムを作るのにいくらかかるのか。毎年の運用費はいくらか。市民一人を登録するのに何円かかるのか。30円の割引を何回使えば、その費用に見合うのか。
便利な仕組みは必要である。だが、仕組みを作ること自体が目的になれば、機械だけが腹を満たし、市民の財布には何も残らない。
狸は機械に食われるほど間抜けではない。たぶん。
宴会を始める前に、五つだけ数えてほしい
制度が始まったら、京都市には五つの数字を出してもらいたい。
- 満員で乗れなかった市民は何人減ったか
- 市バスの遅れはどれだけ改善したか
- 観光客は地下鉄や観光特急バスへどれだけ移ったか
- 値上げで増えた収入を、増便や運転士確保へいくら使ったか
- 市民判定システムの構築費と年間運用費はいくらか
そして、もう一つだけ欲張るなら、市民の登録率も知りたい。
制度はある。だが登録が難しく、高齢者やデジタル機器の苦手な人が現金で400円を払っている。そんなことになれば、「市民優先」の看板が泣く。
看板は泣かないが、我々狸が代わりに泣く。ついでに市役所前で転がる。
私は賛成である。だから最後まで勘定したい
観光によって街に負荷がかかるなら、その費用を観光客にも負担してもらう。その金で市民の移動を守る。
この考えには賛成である。
京都は観光客を歓迎してきた。観光客も京都に多くの金を落としてきた。それでも、市民が通勤や通院でバスに乗れない状態まで歓迎し続ければ、やがて街の方が疲れてしまう。
客人を大切にすることと、住んでいる者を後回しにすることは同じではない。
市民200円は、その順番を少し戻す試みだと思う。
だが、200円という見栄えのよい数字だけで宴会を始めてはいけない。
市外運賃の値上げで混雑は減ったのか。増収は輸送力の改善へ回ったのか。市外から日常的に通う人への配慮は届いたのか。市民認証の機械は、食べた金以上に働いたのか。
そこまで見て、ようやく「市民優先」である。
市民は200円になった。
しかし今日も満員で乗れなかった。
そんな見事な落ちがついたら、これは政策ではなく落語である。
面白い話は好きだが、通勤の朝まで面白くしてもらわなくてよい。
狸としては、30円の得より先に、まず尻尾まで車内へ収めたいのである。