京都駅というのは、たいへん働き者である。
新幹線を受け止め、在来線を受け止め、地下鉄を受け止め、バスを受け止め、そのうえ大量の観光客まで受け止める。
たぬきの目から見ると、京都駅は「もう少し休ませてやったらどうか」と思うほど、毎日よく働いている。
ところが人間というものは、働き者を見つけると、さらに仕事を頼みたくなるらしい。
京都市は10月20日、京都駅に集まりすぎる観光客を分散させるため、山科駅や東福寺駅などを「サブゲート」として活用する取り組みを発表した。
関西の鉄道事業者11社局と連携し、駅や車内、宿泊施設、観光地の手前などで、京都駅を経由しないルートを案内するという。
京都駅に人が集まりすぎている。
これは、たぬきでも分かる。
紅葉の時期ともなれば、京都駅に着いた観光客が一斉にバスへ向かう。バス停には人、人、人。市民が通勤や通学で乗りたいバスに、観光客の長い列ができている。
観光客は悪くない。
京都を見たいだけである。
市民も悪くない。
いつものバスに乗りたいだけである。
悪いのは、全員を同じ場所へ案内してしまう仕組みの方かもしれない。
混雑を別の駅へ引っ越すだけではないか
京都市が考えるサブゲートは、山科駅や東福寺駅などである。
清水寺や南禅寺へ向かう人に、京都駅からバスへ乗り換えるのではなく、JR東福寺駅やJR山科駅を使ってもらう。
さらに、混雑状況をライブカメラで伝えたり、手荷物配送や一時預かりの場所を案内したりするそうだ。
たしかに、うまくいけば京都駅前の混雑は減る。
しかし、たぬきには少し気になる。
京都駅の混雑を減らした結果、今度は山科駅や東福寺駅が混み始めたらどうするのか。
駅前の歩道に観光客があふれ、地元の人が歩きにくくなる。
バスに観光客が乗り込み、市民が乗れなくなる。
トイレの数が足りず、駅の周りに長い列ができる。
そんなことになれば、混雑は解決したのではなく、別の場所へ引っ越しただけである。
引っ越し先の住民からすれば、ずいぶん一方的な転居である。
山科駅と東福寺駅は観光施設ではない
山科駅や東福寺駅は、観光客のためだけにある駅ではない。
そこには、毎日通勤する人がいる。
学校へ向かう学生がいる。
買い物に行く人がいる。
病院へ向かう人もいる。
たぬきが昼寝をする場所だって、できれば人間に荒らされたくない。
観光客を呼び込むなら、駅を案内するだけでは足りない。
駅周辺の歩道は十分か。
トイレは足りるか。
バスは増やすのか。
交差点の安全は確保できるか。
高齢者や子ども連れが歩きやすいか。
周辺の商店に利益は落ちるのか、それとも人だけ通過していくのか。
こうしたところまで考えて初めて、観光客の分散と呼べる。
観光客を別の駅へ運ぶだけなら、鉄道会社の案内で終わる。
しかし、市民生活と調和させるなら、これは立派な都市政策である。
いくら使って、何が変わったのか
京都市は今回、駅でのポスターやチラシ、車内放送、デジタル広告、多言語案内などを行う。
11月には、海外や国内の旅行者に向けたデジタル広告も配信する予定だ。対象地域にはアメリカ、イギリス、オーストラリア、中国、台湾、香港などが含まれている。
ここで、たぬきから市役所へ一つお願いがある。
「何人に広告を見せたか」だけではなく、「何人が実際に別の駅を使ったか」を公表してほしい。
広告が何回表示されたか。
動画が何回再生されたか。
チラシを何枚配ったか。
それらも大事ではある。
しかし、それは政策の準備状況であって、成果そのものではない。
知りたいのは、次の数字である。
- 京都駅前のバス待ち時間は何分減ったのか
- 山科駅・東福寺駅周辺の混雑は何人増えたのか
- 市民の通勤・通学時間に影響は出なかったのか
- 観光客の移動時間は短くなったのか
- 手荷物配送の利用は増えたのか
- 施策にかかった費用はいくらか
- その費用に見合う効果が出たのか
市政というものは、始めるときには立派な名前が付く。
「持続可能な観光」。
「市民生活との調和」。
「サブゲート」。
名前は実に立派である。
だからこそ、終わったあとには、名前に負けない数字を見せてもらいたい。
観光客を動かすには、旅行前から知らせる必要がある
観光客は、京都に着いてから急に別の駅へ行けと言われても困る。
初めて来た町では、いちばん分かりやすい道を選ぶものだ。
大きな駅で降りる。
大きな案内を見る。
大きなバス停へ向かう。
それが京都駅なら、京都駅に人が集まるのは自然である。
だから、サブゲートを本気で使ってもらうなら、旅行前から知らせなければならない。
「京都駅を避けた方が早い」
「山科駅から行った方が歩きやすい」
「東福寺駅からなら混雑を避けられる」
そうした情報を、旅行予約の段階で見せる必要がある。
駅に着いてから、「こちらの方が空いています」と案内されても遅い。
人間は旅程を組み、切符を買い、同行者と予定を合わせている。
たぬきだって、木の上で丸くなってから「今日は地面で寝てください」と言われたら、少し考える。
サブゲート作戦の本当の評価軸
この政策で大切なのは、京都駅の混雑が減ったかどうかだけではない。
山科や東福寺の住民が、普段どおり暮らせたかどうかである。
観光客の移動が快適になった代わりに、市民がバスに乗れなくなっていないか。
京都駅の混雑が減った代わりに、別の駅で通勤客が押し出されていないか。
観光客が増えた代わりに、商店街の負担だけが増えていないか。
その確認が必要だ。
京都駅を空けることだけを目標にすると、別の場所が混む。
サブゲートを成功させるには、観光客を分散させるだけでなく、負担も見えるようにしなければならない。
どの地域に何人流れたのか。
何人の市民が影響を受けたのか。
どれだけ費用がかかったのか。
その結果、市民の移動時間は短くなったのか。
このあたりを毎年公開して、うまくいかなければ修正する。
そこまでやれば、ようやく政策らしくなる。
京都駅を助けるなら、山科と東福寺も守ってほしい
京都駅への一極集中を緩和する方向そのものは、理解できる。
市民のバスを守ることも必要である。
観光客が快適に移動できることも大切だ。
しかし、京都駅を助けるために、山科や東福寺へ負担を押しつけるだけなら、それは解決ではない。
京都の町は、観光客だけのものではない。
毎日そこを歩く人がいる。
そこで暮らす人がいる。
商売をする人がいる。
そして、物陰から町の様子を見ているたぬきもいる。
市のサブゲート作戦が、本当に市民の足を救うのか。
それとも、混雑の場所を変えるだけなのか。
入口の案内は、もう始まった。
次に見せてもらいたいのは、出口の数字である。
京都駅を何人救ったのか。
山科と東福寺に、何人分の負担をお願いしたのか。
そこまで分かって初めて、この作戦の成否を判断できる。
京都の町は、観光客だけのものではない。
来る人と住む人が、同じ町で息をできるか。
秋の京都で、今年もその問いを見ていきたい。